パワーストーン一覧

紅水晶 黄水晶 紫水晶 ルビー 翡翠:ヒスイ ラピスラズリ 虎目石 赤メノウ 白メノウ
印鑑豆知識 貴石彫刻品フォトアルバム
ホーム > 印鑑豆知識
  • 印鑑について
  • 印相について
  • 印章の歴史
  • 武将たちの印
  • 陰陽五行説とは

印鑑の種類

実印

実印:山口純子

役所に登録する印鑑を「実印」といいます。法律上社会上の権利義務の発生を伴う重要な印で、婚姻届、不動産登記、車の登録、保険などの受領に使用します。一生を通じた自分自身の「証」であり、人格の象徴となりますので、良い印材をお選びください。
印鑑登録に使用するためフルネーム(姓名)での彫刻となります。女性の方で「名」のみの彫刻を希望される場合は、お申し込みの際にご指定ください。
※役所によっては「名」のみでの登録が出来ない場合があります。お住まいの役所にお確かめください。

銀行印

銀行印:鈴木

金銭関係の取引、銀行等の預金口座開設のための印鑑です。自分の財力財産の象徴となります。
実印・認印と区別してお使いください。認印より一回り大きいサイズをおすすめいたします。
※当オンラインショップではご指定が無い場合、「姓」のみを横彫り(右から左へ)で彫刻します。

認印

認印:高橋

仕事上の一般業務や家庭常備用として日常的に使用する印鑑です。自分の立場、家内安全、交際関係の象徴となります。実印・銀行印と区別してお使いください。
「姓」を縦彫りで彫刻します。


印鑑のサイズ

男 性 18.0mm 16.5mm 15.0mm 13.5mm 12.0mm 10.5mm
実 印      
銀行印      
認 印      
女 性 18.0mm 16.5mm 15.0mm 13.5mm 12.0mm 10.5mm
実 印      
銀行印      
認 印      

上記はお勧めの印面サイズです。
印材の長さは一般的で安定している60mmでお作りいたします。さらに運勢が強いとされる75mmをご希望の方はご相談ください。

書体について

当オンラインショップでは印相体(いんそうたい)で印刻いたします。印相体は篆書体(てんしょたい)を進化させた書体で、印章がやわらかで八方に大きく広がるイメージから吉相体(きっそうたい)とも呼ばれ、“縁起が良い”とされています。
別の書体を希望される場合は予めご相談ください。

吉相開運彫りとは?

吉相開運彫り
*クリックで拡大表示します

人間には人相があり人格を表しているように、印鑑には「印相」と呼ばれているものがあります。
「吉相開運彫り」とは、天地陰陽の原理にもとづき、篆書体(てんしょたい)を基本として、次の5点をポイントに印相文字を印刻し、開運を呼び込みます。

  1. 上下左右のバランスが良い
  2. 文字の線に力強さ、美しさをもつこと
  3. 印面に文字を配字した時、空欠がないこと
  4. 運勢強化の八方位を配慮する
  5. 数霊の吉凶を見る

篆書体(てんしょたい)とは?

甲骨文字を基礎として古代中国で発展し、秦の始皇帝の時代に確立された文字を言います。篆書から隷書、そして私たちが日常書いている楷書、行書、草書へとつながっています。

印相八方位

印相八方位
*クリックで拡大表示します

中国数千年の昔から東洋哲理によって定められ、運命学の基礎になっている八方位は、人間を含めた宇宙万物運行の配置図です。

円は無限大を象徴し、地球の公転自転や太陽の軌道、時や季節の廻り、空間の位置・方位を表し、人間の様相・肉体・行動全てを包含します。
特に易で言う八卦にあたり、人間の運勢を八つのポイントに当てはめています。

この八方位の視点で文字を作り配置し、印面上の調和を図ることが重大な意味を持ちます。その印鑑は小さなものであっても宇宙が投影され、印鑑を持つ本人が小宇宙として、その運命・運勢が投影されています。
その運勢を変え得る神秘的な力と可能性がそこに秘められているのです。

あなたにとって開運吉相の条件

  1. 姓名鑑定、四柱推命等で運勢診断をして、ふさわしい印材、運勢強化点を把握する
  2. 目的、用途(実印・銀行印・認印・家庭印)にふさわしい印材のサイズ、配字を決定する
  3. 捺印の心得と管理をよくする

聖書の時代から印鑑はありました

ラピス・ラズリの円筒印章(メソポタミア・紀元前2003年頃)

ラピス・ラズリの円筒印章

聖書にはしばしば「封印」という言葉が出て来ます。
証書を作り、これを封印して保管しました。
また、神との契約である律法に従うという誓約書に捺印させ、民にも誓わせました。

粘土で封をした壷の復元

壷の金庫

古代の壷の金庫はこのように紐で縛り、紐の結び目を粘土で覆い、その粘土に印章を押しました。粘土の封が乾くと、紐を切るか、封を壊さなければ開けられませんでした。
印章は壷の所有者、責任者を示すと同時に、一種のカギのような役割をしました。

聖書の時代

また主の言葉が私に臨んだ。
「人の子よ、ツロの王のために悲しみの歌をのべて、これに言え。主なる神はこう言われる。 あなたは知恵に満ち、美のきわみである完全な印である。あなたは神の園エデンにあって、もろもろの宝石があなたをおおっていた。 すなわち赤めのう、黄玉、青玉、貴かんらん石、緑柱石、縞めのう、サファイヤ、ざくろ石、エメラルド。そしてあなたの象嵌も彫刻も金でなされた。これらはあなたの造られた日に、あなたのために備えられた。」

エゼキエル書 第28章 11節〜13節

「その日、わたしはあなたを立て、あなたを印章のようにする。わたしはあなたを選んだからであると万軍の主は言われる」

ハガイ書 第2章 23節

檀君神話の天符印(韓国)

天神様の桓因がその子桓雄に天子の位を認め、祝福する天符印三箇を与えた。 それは三つの権能を表し造化、強化、治化である。さらに三神の協助者を得、三千の衆、三百六十余の知恵を持って、地上の人間社会に降りてきた。

秦の始皇帝の官印制度の確立(中国)

中国を統一し、強大な権力を誇った秦の始皇帝は、自分の用いる特別な印をつくり、これを「伝国の璽」とし、皇帝の権威の象徴とした。そして官僚組織の確立に伴い、その位に応じて、大きさ、材質、鈕式、綬色、印文を決め、自分を識別した。
そして現在も印文に使用される篆書体という文字を決定した。

印に表れた武将たちの運命

織田信長

織田信長の印

幾度か印章を作りながら、信長の印は一貫して馬蹄形である。そして、印文は「天下布武」となっている。これは武力と戦いによって統治を目指した信長の人生観を表している。
また、丸と四角の二重枠は性格と行動が極端であることを示し、統制力の方位が欠け、自ら刃に倒れた。

明智光秀

明智光秀の印

戦国時代の武士達は丸か四角の印章を持つことがが多い。その中で、唯一縦菱形の印章であるのが光秀の印である。鉄かぶとや中世ヨーロッパの鉄の仮面に似ており鋭い菱形とそのデザインは人相で言えば、 怨念と剣の相が感じられる。

豊臣秀吉

豊臣秀吉の印

この印は現代における会社の代表者印と配字が似ている。中央に関白の文字、周りの「福如東海、寿比南山」の文字は関白になったことへの個人的喜びを表したもので、統治者としての思想を示すものではない。
回りの文字は篆書体ではなく、伝統や格式に対しての意識が欠如しており、離れている文字はバラバラになった部下を意味する。また、縦線は人格分裂の可能性もある。
若い時は「蚯蚓(みみず)印」を用いているが、この印は文字でも絵でも文様でもない短い線が無造作に何本か引かれた印である。これは本来経済活動に使われていた印であり、秀吉が現実的で実利を追い求めていたことを思わせる。彼は戦時の物資調達を得意とした。

徳川家康

徳川家康の印

若い時から儒教を学び、「福徳」を印文に用いてることは中国の皇帝の印に通ずる所がある。さらに、印面いっぱいにゆったりと置かれた配字は人格や教養が豊かであることを表している。
晩年、「忠怒」の印文を用いた印もあるが、これは儒教における最高の徳目で「まごころと思いやり」を意味する。
晩年、「忠怒」の印文を用いた家康は慈悲の心を大切にしたのであり、為政者の印として非常に精神性の高いものである。
ただ、二重枠の印は戦国武将に多く見られ、自分を守る意識が強い印相である。また、二重人格、二重生活を意味し、家庭的には恵まれない。

陰陽五行説とは

易とは何か

易は中国伝説上の人物「伏義」(ふぎ)が、初めて八卦をつくり、「神農」によって六十四卦が生まれたと言われています。そして周公が爻辞をつくり紀元前500年頃に、「孔子」が十翼を付けて意義を深めたと言われてます。易に関して明確な起源不明です。
現在では、黄河文明が誕生した約5000年前にはじまり、周の時代に至って「易経」という書物が編纂されたというのが通説となっています。周の時代に編纂された易なので「周易」とも呼ばれます。他に、中国の夏の時代には「連山易」、殷の時代には「帰蔵易」という体系があったようなのですが現存はしていません。
この古代中国を起源とする易の思想ですが、具体的には、東洋思想である五行・八卦(ごぎょう・はっけ)という自然の理法を応用し、算木(ざんぎ)と筮竹(ぜいちく)を用いて占います。聖人君主の憂患から生まれた思想をもって人生の諸問題に対しての決断と選択に用いますが、受け取り方は占者の判断に委ねられますので、占者による正しい解釈が求められます。

易という文字は説文解字によれば蜥蜴(とかげ)であると言い、トカゲは一日に八回も色を変える生き物であるため、この文字が使われたと言われます。又、陽の代表である日輪と陰の代表である月輪を合わせて易の思想である陰陽論からこの文字が生まれたとも言われています。易は東洋で生まれた運命学の中で一番長い歴史を有しています。易は運命学の根本であり基礎となります。易経には神という概念は無く、霊の世界については一切述べることはありません。また、単なる運命論でもありません。「天の時」「地の利」「人の和」の天地人を重視しており、そこに占者の知恵が加わることによって有益なアドバイスとなり得ますし、無責任な占断は無益な結果となるとも言えます。

太極とは

易では天・地・人、森羅万象の変化を六十四卦、三百八十四爻に分けて観ます。この変化の基本は陰陽であり、これは太極から成り立っています。そしてこの太極こそが易の本体となります。「繋辞伝(上)」(けいじでん)には、「易に太極あり、これ両儀を生ず。両儀四象を生じ、四象八卦を生ず。」とあります。「太極」とは天地、陰陽が未だ分かれず混沌と躍動していた「大元気」、「両儀」とは陰陽を意味します。「これ両儀を生ず」とあるように、太極は二つに分かれて存在するのではなく、陰の中にも陽が、陽の中にも陰が含まれるということになります。陰陽を二つ重ねることで老陽、老陰、小陽、小陰の四象を、また三つ重ねることで乾(けん)、兌 (だ)、離(り)、震(しん)、巽(そん)、坎(かん)、艮(ごん)、坤(こん)の八卦と成ります。

太極これらの関係を図示すると左図のとおりです。図を見ると、陰陽は太極の両面だとわかります。 老陽は陽中の陽(+ +)、少陰は陽中の陰(+ -)、少陽は陰中の陽(- +)、老陰は陰中の陰(- -)を意味します。八卦(小成卦)は上から順に「天・人・地」を割り当てます。この「天・人・地」を「三才」といいます。「才」というのは「働き」という意味で、自然界はこれらの働きによってなるという一つの見方を意味しています。八卦が三爻(こう)からなるのは三才思想によります。わずか八卦で森羅万象の広汎で複雑な世界を精密に表現するには無理があります。そこで八卦を組み合わせて乾為天から坤為地まで六十四個の卦を作ります。これを大成卦と言い、これに対して八卦を小成卦とも言います。

大成卦は六爻からなり、各々の卦と爻にはそれぞれの象を理解して吉凶を占うための卦辞(彖辞)と爻辞(象辞)がかけられています。大成卦もまた三才思想にしたがいます。すなわち二爻ずつ区切り上から順に、天・人・地を意味しています。

大成卦も小成卦も共に三才(天・人・地)を表しその基本は陰陽であるので二の六乗=六十四卦が易の全数となります。したがって、森羅万象のすべてはこの陰陽二爻より構成された六十四卦三百八十四爻の中に表現されることになり、卦爻の辞を理解することで上は天地の理から下は処世に至るまで観ることができると考えられています。

韓国の国旗

太極と八卦の関係を理解する好例として、お隣の国・大韓民国の国旗をみてみましょう。1948年に大韓民国政府が樹立され、その翌年に図のような太極旗が正式に韓国の国旗として使用されるようになりました。その国旗には陰陽五行思想を図式化して、五つの精神が表現されています。

太極旗◇太極旗(テグッキ)の由来
1882年8月、修信使(韓国から日本へ遣わされた特使)の一行が日本に渡った時、船に掲揚していた旗がこの太極旗でした。
その原案は朝鮮王朝第26代王である高宗(コジョン)皇帝によって作成されたということが明らかになっています。当時は図の配置などが統一されておらず、デザインも定まっていませんでした。
その後、1948年8月15日、大韓民国政府が樹立され、その翌年、現在の太極旗が正式に韓国の国旗として使用されるようになりました。

◇太極旗の意味
まず、旗地の色は白でそこには正義と人道を基本とする平和の精神が示されています。次に中心の円形は天と地が一つになった調和の精神をあらわしています。そしてその円形は上半分は赤で陽、下半分は青で陰を示し、陰陽が一体となって万物が創造されるという創造の精神を表現しています。さらに、太極をはさみ込む形で左上に乾(けん)右下に坤(こん)が配置されており、これは乾は天、坤は地を意味し、この乾・坤によって、天地の如く無窮なる精神を表しています。最後に左下の離(り)と右上の坎(かん)はそれぞれ日と月を示し、太陽と月の如く光あふれる光明の精神を表しています。

模様 名称 太極旗が持つ五つの精神
旗地 旗地 正義、人道を基本とする平和の精神
太極 原型

- 天地が一つになった単一の精神
陽 陰(青)、陽(赤)が一つになり万物を創造する、創造の精神
陰  
乾 乾(けん)   天(乾)と地(坤)の如く、永遠性のある無窮の精神
坤 坤(こん)  
離 離(り)   日(離)と月(坎)の如く、光あふれる光明の精神
坎 坎(かん)  

陰陽五行思想とは、陰陽のバランスと五行(木火土金水)の相生・相剋の関係で人間や社会の営みすべてを説明しようとする思想で、易学にとどまらず漢方医学・太極拳などの仙術、風水学などの東洋五術の基礎理論となっています。あらゆるものが陰陽に分けられるのですから、私たち人間も宇宙の存在である限り、陰と陽、五つの元素のいずれかに属するのは当然と考えられています。すなわち、体の陰陽のバランスがくずれた状態が「病気」であり、運気の陰陽のバランスが崩れた状態が「不運」となるわけです。易学でも漢方医学でも指導や治療の発想は、足りなければ補い、余っていれば取り除く、ただこれだけです。陰が多ければ陰を取り、陽が不足していれば陽を補いバランスの取れた状態を如何に作り出すかに力点が置かれるのです。

陰陽五行説とは

陰陽五行説は最初から陰陽五行説として確立していたのではなく陰陽説と五行説が独自に発生し、それぞれ発達した思想が融合し一つとなりました。陰陽説では森羅万象のすべては「陰」と「陽」の相反する二つの「気」によって成り立っていて、この二つの「気」の働きによって、身の周りに起こる様々な事象を理解しようとします。

全てのものを二種類に分けていくと男性と女性、太陽と月、昼と夜、明と暗、積極性と消極性などに分ける事ができます。この分け方が陰陽説の基本的な考え方です。「二つに分ける」と言うと対立概念にとらえがちですが、陰陽に分けた両者は対立するにとどまりません。というのは、陽の気が高まると、今度は少しずつ陰の気が顔を出し始め陰の気が高まると今度は少しずつ陽の気を出し始めるというように(「陽極まれば陰となし陰極まれば陽となす」)相互に消長することにより循環し、互いに働きあうことによって新しい発展を生みだすのです。陰と陽は完全に相反する性質をもっていますが、大局的には一つですので、互いに授受すべきものでまた性質が異なるがゆえ、かえって互いに引き合い、交合するものなのです。

五行説では自然界すべてを「木 火 土 金 水」の5つの性質に分けて置き換えてとらえます。そして、この五行がいかなる関係となっているのかを見る際に、五行相生と五行相剋の組み合わせによって五行の関係性をとらえ、宇宙の万物は生々流転・変化していると考えます。

五行説は今でも、日本・中国・韓国といった東アジア諸国の文化や風俗の内に深く影響し続けていますが、その発生は中国の春秋時代にまで遡ります。しかし、春秋時代の五行の内容には五行の相剋、相生といった相互関係はまだ生じていません。

陰陽論と五行説:発生とその結合

五行説の発生は『書経』の洪範に見られる「五材」として人々が生きていくうえで生活上必要な五つの物質として登場しました。当初は「五材」という考え方であって、五行説という理論に最初から展開されていた訳ではありませんでした。五材が、五行の属性を持つものとして抽象化、相対化され、特に相剋説が考えられるようになったのは『墨子』のころであるといわれています。これは五行思想研究の第一人者である故・島邦男先生の推す説ですが「下篇」に曰く、「五行に常勝なし。説は宜に在り」これを更に解説して、「五行合う。木は火を生じ火離然ゆ。火の金をとかすは火多ければ也。金炭をさらすは金多ければ也。之を合し水と成し、木は土に離く。」これが相剋説のさきがけであると考えられています。

次に、相生説が歴史の表舞台に登場するのは董仲舒(とうちゅうじょ)(BC179〜104)の『春秋繁露』、そしてそれとほぼ同時代に著された准南王劉安の『准南子』が始めでしょう。この『准南子』には五行の相剋説、土王説、相生説など五行の法則が出揃っています。陰陽論と五行説の結合は鄒衍の陰陽主運説にみることができます。ここでは木火を陽、金水を陰に配当していますがそのきっかけとなったのは四時(四季)の変化と『易経』の影響が大きかったと考えられています。その後、戦国時代末の『呂氏春秋』の中で、干支の十干に陰陽論と五行説が導入されるようになりました。

つまり、春秋戦国時代末から陰陽論と五行説の結合が一般化していったようです。前述の董仲舒(とうちゅうじょ)(BC179〜104)は相生説に重きを置いていますが、相剋説についても論じていますので相剋・相生説を含んだ陰陽五行説は董仲舒によって体系となったと考えられます。ここからより複雑な陰陽五行思想が展開され応用されるようになりました。

すなわち、陰陽五行説が土台となりその思想の上に天文・気象が研究がなされ、十干十二支と陰陽五行説が結びついて暦法、暦術・易・ト筮が生み出されました。さらには儒教・風水・医術・哲学・呪術など様々な文化と陰陽五行説が結びついて宇宙を形成する原理、万物を貫いている“普遍的な記号”として中国・韓国・日本など東洋の文化に大きな影響を与えるようになりました。

相生説と相克説

相生と相克五行説には『相生』と『相剋』という二つの関係があります。

相生とは「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ずる」という関係で、木、火、土、金、水の順に自然に物事が循環して相手を生かす関係となっています。木、火、土、金、水は「もく」、「か」、「ど」、「ごん」、「すい」と読みます。

相剋とは「水は火を剋し、火は金を剋し、金は木を剋し、木は土を剋し、土は水を剋す。」という関係で、相手に勝つ関係となっています。

左図の赤線の五角形が相生の関係で、青線の星形が相剋の関係となります。この相生相剋図が五行思想の基本であり、この五行の相生と相尅の相互関係によってこの世の中の様々な作用と現象が現れるとしています。

木生火 木が燃えると、火となる。
よって、木から火が生じる。
水剋火 火に水をかければ消える。
よって、水は火を剋する。
火生土 火が燃えたあとには灰が残る。
灰とはすなわち土である。
よって、火から土が生じる。
火剋金 火は金属を溶かす。
よって、火は金を剋する。
土生金 土が集まり地となる。
その地中より鉱物が出る。
よって、土から金が生じる。
金剋木 金属でできた道具が刃物。
斧は木を倒す。
よって、金は木を剋する。
金生水 湿度が高い時、
金属の表面に水滴が出る。
よって、金から水が生じる。
木剋土 植物や木の根は固い土を
押しのけ地中に伸びる。
よって、木は土を剋する。
水生木 水を養分として木が育つ。
よって、水から木が生じる。
土剋水 土は堤防となり、
水をせき止める。
よって、土は水を剋する。